愛すること
http://www.huffingtonpost.jp/2014/07/16/this-dogs-final-day_n_5590702.html
私が最近で一番心に残った記事です。
愛犬デュークの体が癌にむしばまれてゆき、
結果的に安楽死を選択するという内容です。
「捨てられても仕方ないところを、安楽死させてもらえるなんて幸せな犬だね。」
「安楽死される前に、もっとできることがあるのではないか。」
そういうことを言いたいのではなく、
1人、もしくは1匹の存在を失うときの気持ちについて
ぐるぐる、考えていました。
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大切な1つの存在を失うということは、
自分が生きていて、相手が生きている限り、
誰でも経験することだと思います。
いま読んでくださっている方のなかに、
愛犬を失った経験のある人もいらっしゃると思います。
では、そのときに感じる絶望的で、底のない悲しみは、避けられないものなのでしょうか。
突然何の前触れもなく、失ってしまった場合は、避けられないかもしれません。
でも、自分のできる最高の愛をいっぱいに与えている
これ以上ないくらいに、自分のできる精一杯を相手にとどけている
自分の役割をまっとうした。
そう思えたら、きっと悲しみはやわらげられるのではないかと思いました。
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悲しみは、このひとにもっと何かしてあげたかった。
とか、もっと幸せにしてあげたかった。
そんな後悔から生まれるものだと思います。
人と比べるのはいけないと思いますが、
私の大好きな小鳥が死んだとき、
もっと学校から早く帰ってきて遊んであげればよかった
勉強しているときも、かごの外にだしてあげればよかった
いろんな後悔で、胸がくるしくなりました。
くるしさは、涙がどれだけ流れても、とれませんでした。
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この記事の飼い主さんが安楽死を決断できたのは、
それまでに、デュークにいっぱいいっぱい愛情をそそいで、
もうわたしたちは彼を大切にしつくすことができたと、
後悔がなかったからだと思います。
安楽死の決断をするのは、飼い主さん次第です。
飼い主さんは犬を殺すような気持ちになり、
まるで非人道的なことをしているかのような感じ。
その罪悪感から、それをやめる方を選ぶかもしれません。
でも、そんな決断の裏には、いっぱいの愛情があったのではないかと
私は思いました。
私も、こんな意味でも、後悔のない人生をおくりたいです。
高井ひろえ